概要・プロフィール

 テレビが我が家に来る前、ラジオの存在は私にとって大きな意味があったように、今振り返って思います。少年漫画なる幾つかのラジオドラマはかすかですが聴いていた事は憶えていますし、ニュース等の他、音楽も当然流れていて間違いなくこの耳に届いてはいた筈です。まだ小学生になる前の事でその時は単に聴覚として ・・・。それら様々な音楽の中には、演奏ものだけでなく、意味もわからない外国語の歌も日本の曲と一緒くたに電波に乗って来ます。受ける側にしてみれば、勝手に、そして一方的に聴かされていたと言えなくもなく、時代的には致し方無いところですが、少なからず私の中にそんな感覚として残っています。                                                           小学低学年からテレビは俄然 「威力」 を発揮して来ますが、並行して何故かラジオにも耳を傾け続けていた私がいます。それは6年の間に、テレビには登場しない音楽の存在、日本語以外の歌の殆どは欧米の、そしてその多くが英語である事を教えてくれました。しかしながら相変わらず 「聴かされている」 感は否めず外国ものであれば何でもかんでも垂れ流しのような状況が続く中、知らず知らず自分流に少し整理するような気にさせられて来ます。小学5年の頃でしょうか、何ページも片っ端から知ってる曲名と演奏者・歌手名を書き込んだノートをその後も数年間、恰も資料の如く残したように。勿論、邦題以外カタカナで。

ただそれも、あと数ヶ月で中学生と言う時期、それ迄耳にした曲達を一瞬白紙にしてしまうくらいの衝撃が我が身を襲って来ます。                                           

 

その1964年は、間もなく3/4世紀を迎える自分の記憶の中でも指折りの一年でした。個人的には、周辺の別の地域から新たに同窓となる出会い、社会的には、衛星による海外とのテレビ同時中継の夜明け、新幹線開業と東京オリンピック。そして、何と言っても ビートルズ の出現です。イギリス出身の彼等ですが日本にはアメリカ同様、デビューの一年以上あとに届けられます。小遣いで初めて買ったレコード達、そして二年後には奇跡のような東京での時空共有を体験出来た事は私の一生の宝物となります。デビュー後の彼等の偉業の数々は「米国経由」で知るところ大ですが、そんな頃、主にラジオを通じて頻りに耳にするようになるのが「キャッシュボックス」や「ビルボード」と言う名詞でありました。

それらは米国音楽業界の週刊誌 (Cash Box、Billboard) の名前のことで、ほどなく日本の音楽雑誌 (M. L. 或いは T. B.) にそのチャートが載るのを目にします。振り返ると当時それらの、より人気のあったほうに掲載されていた為、若干先に見たのはどうやら C. Box のチャートだった気がします。ただ70年代後半頃からその C. Box の名はあまり聞かれなくなり、21世紀を待たずして廃刊となったようです。それ迄に書き止めていた先の多くの楽曲もそうであるように 、そこには多岐に渡る音楽、即ちポップ、ロック、R&B、ブルース、ジャズ、カントリー、フォーク、ラテン、イージー・リスニングに演奏もの、映画音楽、まれに英語以外の歌など、あらゆるジャンルに渡り老若男女が入り乱れる縮図が見られます。

しかし、感性と言うものは人それぞれ、実際のヒットに対しての自分との相性から、そこにギャップが生ずるのも当然な訳です。だから、自分のチャートを付け始めます。そう、中二の結構早めの段階だったと思いますが、意外にもこう言った同類諸氏は米国、そして日本にもいると聞きます。私は10年ほどで、それは切り上げてしまっていますが、それから何十年も経った今日、その当時の感覚そのままを反映させる機会が巡って来るとは思いもしなかった事です。

                              

さて、前述の C. B. 誌は戦時中の1942年、B. 誌に至っては遡ること19世紀末期の創刊で、最初のチャート掲載は1940年、その頃はまだ第二次大戦に日本が本格的参戦前で、東京は現在の23区が「東京市」の時代でした。歴史の重みを殊更強調する訳ではありませんが、20世紀の特に後半、ポピュラー音楽の流れは米国抜きには語れない事、そしてそれまでに数多くの楽曲がその紙面を飾った実績は十分に一つの物差しになり得ると考え、ここではヒット曲の本質であるシングル盤がそこに登場したものを基本に据えています。決して了見が狭い訳ではなく、他に公平と言える条件が見当たらないのと、際限のない記述はかえって信憑性に欠けると言う思いからです。専門家の方々と言えどもあらゆる時代 (例え1年ですら) の音楽全ての「整理」など、不可能と思っています。

ここに並べる千曲とはズバリ、個人的な好みによって選んだものでカウント・ダウンの形で記しています。確定した時期は 70年代の終盤のことで、これらは Billboard 誌での最高位の日付けが、1956年1月1日から1975年12月31日の20年を当該期間として絞り、先に触れた私自身のチャート (1965年12月25日~) と 1965年以前のヒット曲の中から吟味したものを基に、又、その集計は Billboard 誌、或いはそのフリークが用いる方法を参考にしています。本題であるページ [項の紹介] ではそれぞれの時代背景、チャート動向の様子、他の項との相互関連性にも極力触れ、且つ、曲名そしてアーティスト名に加えて、ビルボード・シングル・チャートでの最高位日付けを可能な限り併記しました。たかだか20年と言えど 「ビッグ・バンド」 時代から 「ディスコ」 時代まで、今なお残る言わば普遍的な音楽が詰め込まれているそんなスパンでもあります。

尚、70年代末期の私的な生活環境の変化に伴い、ここで定めた期間以降の話題に関しては、十分な情報や積極的関与の減少から、記述内容に濃淡が出ることも予めお断りしておきます。

 

プロフィール

 ほぼお分かりのように、私は団塊の世代 (厳密には少しだけあと) と言える年代で男性です。首都圏に生まれ育ち現在に至る、何の変哲もない日本人であります。ごく在り来たりですが、旅行、ゴルフ、歌、等々、果たして趣味と言えるかどうか、願望と下手の横好きが入り混じった程度の真似ごとをしています。

以前、fun_dial と言うハンドルネームで音楽関連掲示板に登場した事もあり、最近では「びるぼうず」の名でマイクを持ったりしてもいます。

 

 

事 例

米国における ノベルティ・ソング の歴史は19世紀後半の ・・・・・。      ニューヨークはブルックリンに生まれたこの女性 R&B シンガー・・・・・。

前作となる "THE NITTY GRITTY" (1963年、8位)・・・・・。           こちら、シャーリー・エリス による "THE NAME GAME" と言う曲 (第1項) から、この個人的企画は始まります。  

以下、第101項の "HAIR" (カウシルズ)、第201項の ・・・と言ったように節目の番号の曲 (アーティスト) の画像を参考までに並べました。(スライド)                                               

主役となる実際の中身としては

「項の紹介」 ページにて日々の日替わりメニューとなります。

どうぞお見逃しの無いように!